誹謗中傷って
昨日だっただろうか。哀しいニュースがスマホ画面に通知として届けられた。
22歳。まだお若いのに…。
彼女の事をよく知らない私でも、その年齢を見てまず胸が傷む。自分と年が近かったり、自分より幼い人の死には、悲しみの傷口はさらに裂ける。例えそれが、身内でもなく、顔見知りでなくても。。
Twitter等に疎い私にとっては、"テラスハウス”なんて輝かしいイメージしかない。地上波のバラエティー番組で、その出演者であるカップルがスポットライトを浴びているのを見て、そんなイメージが強まったのも、つい、最近の事のように思い出せる。
死因が"自殺ではないか”と持ち上げられていた今日の午前のワイドショー。
それを見て、先日、ネットサーフィンをしていて見つけた、東海テレビさんのCMを思い出す。
"15~39歳。死因の1位は、自殺です”
そんな文字に目を奪われたと思えば、
"享年19歳 男性 大学生”という一文と共に、駅のホームの写真が
"享年23歳 男性 アルバイト”
フェンスが見える駐車場の一角が黒く不気味に滲む写真
…お察し頂けただろうか?
これは恐らく彼らが最期にいた場所だ
彼らが彼女と同じく、世間の誹謗中傷に苦しめられたかは定かではない。ただ、誰かが放った一言で、誰かが取った言動で苦しみもがき、自ら終止符を打つという選択をする人がいること。今一度、頭に置いてほしい。
放った人にとっては、親と喧嘩した際に言ってしまった一言と、同等の言葉だったのかもしれない。一瞬の悪魔の囁きを遮ることが出来ず、取ってしまった行動なのかもしれない。
人間は間違える生き物だ。
でも、間違えを放置し、本人も、周りも止められなくなる事は避けなければならない。
…加速を続け、誰かの心を殺める、姿見えぬ物体に成長してしまうのだから。
失って初めて、周りは本人の苦しみに近いものを知る。でも、本人の苦しみは誰にも理解出来ない。色々な人がここから葛藤し、闘う日々を過ごす。悪者なんて生まれなければいい。けれど、人間は悪を追及し、闘ってしまう。それが本能だから。
よく分からない人は今から考えてみてほしい。他人事だと思わず、自分なりに向き合っみてほしい。
自分がされて嫌だと感じる事、今までの経験を振り替えるだけでも大きな一歩だと私は感じる。
生憎、私は自分の弱さとしか闘った事がない。家庭環境、不登校、中退、自傷…。
これっぽっちかもしれない。けれど、自分が傷みを知らなかったら、もっと、人の傷みに鈍感だった。それだけは言える。
良いも悪いも過去は過去だ。傷ましい事件を食い止めるのは無理だ。ただ、声はあげられる。凄くちっぽけかもしれない。ただ、自分の思いを言わずに後悔したくない。それでブログに文字を綴っている。
東海テレビさんの「自殺と向き合おう」というCM。結構しんどい内容ですが、見れば誰かの意識が変わるかもしれない。たった1人でもいい。そんな期待にすがって、このCMをおすすめします。
そして……彼女はじめ、彼らのご冥福を心よりお祈りします。